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「関西文化の日」の行事紹介


例年恒例の「関西文化の日」、
今年は11月14日(土)、15日(日)に実施しました。
常設展を無料でご覧いただけます。

好天に恵まれ、大勢のお客様にご来館いただきました。
多くの行事を行いましたので、その様子をご紹介します。

まずは14日、特別展関連講演会「天下統一への道―苦悩する秀吉―」を開催しました。
講師は前名古屋市蓬佐文庫長の鳥居和之氏。
 名古屋では信長、秀吉、家康を「三英傑」と呼び、市民の関心が高いとのこと。

講演では、主に秀吉の手紙の編纂についての苦労話を紹介していただきました。
信長や家康の手紙などはすでに研究書が刊行されていましたが、秀吉は未完のままであったそうです。理由は、大量の手紙が全国に分布していることと、年号が書かれていないものが多く年代の特定が進まなかったことによるそうです。そして、現在「豊臣秀吉文書集」を2015年から刊行できることになったとのこと。

15日には古代体験講座「古代の織物に挑戦!」を実施しました。
ボランティアの指導のもと、原始機(げんしばた)で織っていきます。
思い思いの色の糸が形になって、世界にひとつだけの織物をつくります。
うまくできましたか?

メインホールでは、当館ボランティアの
オリジナル紙芝居「明智光秀『一筋の道』」ほかを上演しました。
やはり明智人気のおかげで多くの方にご覧いただきました。
有名な「敵は本能寺にあり!」のセリフが響き、
大きな拍手をいただきました。
講堂では、生田 淳仁氏による「三木合戦軍図絵解き」(三木市指定無形民俗文化財)を開催。
「法界寺絵解き」として知られる伝統ある語り口調に
皆さん聞き入っておられました。

この日は特別展も割引料金でご案内させていただき、
多くのお客様がご観覧くださいました。

*  *  *

特別展「兵庫ゆかりの武将たち」は、11月29日まで。
まだご覧になられていない方は、お見逃しのないようお早めにお越しください。

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