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であいのみち -考古博物館へのアプローチ 1 -


平成30年度がスタートしました。
新たに博物館の一員となって最初の更新です。
よろしくお願いします。

あらためて考古博物館へのアプローチについてご紹介します。

         
最寄駅は、JR土山駅です。
南出口の西側の階段を下りていただくと、すぐ右側に博物館の掲示板があります。


 
そのまま自転車置場沿いに西に進んで行きます。


 
車に気を付けて道路を横切ると「であいのみち」入口です。
左側にはミュージアムロードと書かれています。
きれいなトイレもあります。


 
「であいのみち」は静かで花や木が迎えてくれます。

この「であいのみち」は、1984年に廃止された別府鉄道土山線の線路跡を利用して緑道として整備された道です。
道に沿って時代を遡るモニュメントが設けられています。


 
途中にある野添北公園です。遊具がリニューアルして充実しました。


 
駅から12~13分で「ふるさと橋」に出合います。
涼風を感じながら渡ってください。


 
橋を渡ってすぐのところです。
左が考古博物館への道で、右が大中遺跡公園への道です。


道の所々に、このような案内板が設置されています。



先ほどの橋を渡って左の道を進んでいただくとすぐに考古博物館が見えます。
写真の中央が入口です。
右側には展望塔があり、上からの景色は秀逸です。


ようこそ! ここが考古博物館の入口です。



入口右側に、4月21日(土)から開催される特別展「兵庫山城探訪」のバナーが設置されました。
“天空の城” 竹田城をはじめ国史跡の山城を多数紹介します。
ゴールデンウイーク中は5月6日まで休まず開館しておりますのでぜひご来館ください。




橋を渡って右側の大中遺跡公園を奥に進むと、播磨町郷土資料館があり、大中遺跡の出土品や弥生時代の人々の暮らしを展示・紹介しています。
考古博物館から徒歩1分ですので、ぜひお立ち寄りください。
ただ今八重桜満開です。


郷土資料館への道の途中に、先ほど紹介しました別府鉄道の機関車と客車が展示されています。
これも是非ご覧ください。



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