(ほったん)
もうすぐ始まる春季特別展では「縄文時代と弥生時代」をテーマにしているということで、改めてこの二つの時代のおさらいをしたいと思って、今日は博物館にやってきたよ。
こちらがお馴染みのエントランス “ときのギャラリー” 。縄文土器から弥生土器、そして江戸時代の陶磁器へとつながっているね。
縄文時代は今から約16,000年から2,600年前までの約1万年以上の期間で、弥生時代はその後の約900年くらいの期間をいうんだったね。
この土器の上の“B.C.500”というのはどういう意味なんだろ?
(学芸員さん)
やぁほったん!久しぶり。特別展の下調べに来たらしいね。なかなか立派な心掛けだね。
この“B.C.500”というのはBefore
Christの頭文字でキリスト以前という意味なんだ。西暦1年より前ということで“紀元前”と言っているよ。
なるほど、ということは紀元前600年頃から紀元後300年頃までが弥生時代ということだね。
そうだね一般的にはそれで正解。ただ紀元前10世紀頃に始まったという説もあって確定ではないんだ。南北に長い日本では地域差もあってこの時点と決めるのは難しいんだよ。
さっそく展示室に行ってみようかな。学芸員さんも付き合ってね。
発掘された人骨だ。ちょっと怖いけれど、この骨からわかることがあるんだね。
展示してあるのは貝塚(日笠山貝塚、高砂市)で見つかった縄文人男性。それから子供と一緒に葬られた弥生人女性で、骨を調べると性別・年齢・身長・顔の形、さらには普段食べていたものや、親子関係、なぜ亡くなったかの病歴までわかることがあるんだ。
へー。縄文人男性は、ほりの深い顔で年齢30歳くらい、身長約158㎝、弥生人女性の方はきゃしゃな体つきで、一緒に葬られているのはその人の子供なのかな。いろいろと想像してしまうね。
身長は骨の長さから分かりそうだけど年齢はどうしてわかるの?
歯のすり減り方でだいたいの年齢が分かるんだ。縄文人は丈夫なあごをしているので硬いものを噛んでいたんだろうね。
食べる物に固いものが多かったから、あごが発達したんだろうな。ボクは好物の明石焼きばかり食べているからどちらかというと穏やかな弥生人顔かな?
こちらに縄文人と弥生人が並んで描かれている。一緒に並んでみよっと。
平均身長が書いてある。縄文人158.0㎝、弥生人161.7㎝だって。食べるものが良くなって身長が伸びたのかな。
あっ変装道具みたいなものがあるよ。これでボクも縄文人になれるぞ。
コラコラそれは直接顔に貼るものじゃないよ!自分の顔に縄文人の要素と弥生人の要素を見分ける道具なんだ。
怒られたから次に行こっと。
狩りをしている!まさにこれこそ縄文時代だね。犬も飼っていたんだ。
獲物はシカやイノシシ、ウサギなどの森に暮らす動物たちで、狩りには犬が使われていたんだ。犬は縄文時代からあらわれていて、今の犬よりも小型で、鼻先が長くたくましい体をしている。犬の死骸をていねいに葬っている例があって、狩猟のパートナーとして大切にされていたみたいだよ。
すばしっこい動物を狩るため、弓矢は縄文時代から使われるようになったんだ。
それから縄文時代は今よりも気温が高かったので、豊かな森が発達していて、シイやカシなどのドングリのなる樹木がたくさん生えていたんだ。このドングリは縄文人にとって大切な食料になっていたんだよ。
それ知っているよ!去年、発掘現場に連れて行ってもらった時に、そのドングリを見せてもらったんだ!
加東市の「下滝野・奥瀬(おくぜ)遺跡」の発掘調査現場で、縄文時代後期、3500年前のドングリが貯蔵穴に大量に残っていたんだ!
いい経験をすることができたね。この辺りに縄文時代の集落があった可能性が高く、貯蔵穴は湿地を利用した虫殺しやあく抜きを兼ねた施設と考えられ、縄文人の食生活を復元する上でも注目されているんだよ。
楽しくなってきた!次は弥生時代だ。
やっぱり弥生時代と言えば稲作だね。ボクもお米は大好き。
ほったん、こちらの展示も見てごらん。3種類の斧があるよ。
左端が太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりせきふ)[太くてハマグリのような刃を持つ石のオノ]。刃をつけた重い石を堅いアカガシの柄に取り付けた斧で、これで大きな木を切り倒していたんだ。そして、その木を加工するのが、中央にある扁平(へんぺい)片刃石斧[扁平な石に片側からだけ刃を付けた石のオノ]で、右端は柱状(ちゅうじょう)片刃石斧[四角い柱のような長い石で片側からだけ刃を付けた石のオノ]。扁平片刃石斧は現代のカンナのように木を削るための斧で、柱状片刃石斧は大小様々な大きさのものがあり、木を細かく削ったり、穴をあけたりするのに使われていたんだ。このような道具を使って、木製の鋤(スキ)や鍬(クワ)などをつくっていたんだ。
そうか、田植えや稲刈りをするには、その前にまず田んぼを作らないといけない。そのためには木を切ったり、土を耕したりといろいろな作業が必要で、その作業用の道具が必要になったんだ。
そう。お米をつくるためには、まず土地を耕して畦(あぜ)をつくり、水路をつくって水を引いて来なくてはいけない。そのために、これまでと違う新しい道具が必要になり、さらにその道具をつくるための道具(加工具)が必要になり、いろいろな種類の石の斧が使われるようになったんだ。
今、ちょうどメインホールに「くらべてみよう縄文の斧と弥生の斧」をやっていて、県内で出土した斧が展示してあるよ。
ほんとだ。グッドタイミング!
さっき説明した弥生時代の斧のほかに縄文時代の斧も展示しているよ。同じ石の斧でも縄文と弥生では斧や柄の形には大きな違いがあって、縄文時代の石斧は平らで薄く両刃のものが中心で刃の向きは柄の方向に沿った縦向きが原則だったんだ。
それにしても、自然に生えている木の枝の形や石を工夫して道具にするなんて、相変わらず感心するね。
そうだろ。そして縄文から弥生へと時代が移るなかで、材料(素材)に大きな発明があったんだ。それが何か分かるかい?
う~ん 何だったかな
じゃあもう一度展示室に戻ってみよう。
これで分かっただろ。
なるほど、鉄か~。
ワァー やっぱり鉄の斧は鋭いなぁ。全然削れ方が違うよ。
鉄斧は石の斧に比べるとなんと8倍のスピードで木を切り倒すことができたらしいから、作業もどんどん進んだんだろうね。さらに鉄は溶かして再利用もできるんだ。
今まで見てきた田を耕すための様々な道具は、縄文時代にはなく、弥生時代に米作りの技術とともに朝鮮半島から伝わってきて、米作りは道具づくりまでがセットになった技術体系として日本列島に導入されたんだ。
そうか、材料、道具の使い方、土地の利用の仕方、稲の育てかた、それらのすべてが上手くまわっていかないとコメづくりは不可能だったんだね。
いろいろと勉強になったよ。
ところで。ほったん、今回は縄文時代と弥生時代の特徴や違いについて学んだけれど、実はこの二つの時代は単純に分けられるものではないんだ。
えー。言っている意味が分からないよ。
実は今まで、教科書で習ってきたことも・・・
間違っていたの?
その答えは・・・
25日から始まる春季特別展「くらべてみよう!縄文のくらしと弥生のくらし」を見ればわかるよ。
なんだよ、それ!
わかった。開会したら絶対に見に来るよ!! じゃ~ね!
令和8年4月25日(土)~6月28日(日)