スキップしてメイン コンテンツに移動

講演会「竪穴住居が語るひょうごの歴史」

 約2カ月ぶりに講演会が開催されました。

 兵庫考古学研究最前線2021の第6弾、テーマは「竪穴住居が語るひょうごの歴史」です。

 講師は、兵庫県企画県民部地域創生局の山下史朗参事です。
 山下さんは、考古博物館設立準備から開館まで担当され、大中遺跡や播磨地域の古代の遺跡に精通されており、当館の竪穴住居復元プロジェクトにも立ち上げの時から尽力されてこられました。

 はじめに竪穴住居とはどんなものか、日本各地の復元された住居の写真で説明していただきました。竪穴住居といいますが、住居だけでなく、倉庫や工房などに使われたこともわかっているので、最近では住居と限定せずに、竪穴建物と言われることもあるそうです。
 兵庫県は竪穴住居の発掘調査事例が多く、特に播磨では1000棟以上の調査例の蓄積があるそうです。

 竪穴住居は、建物そのものが残っていたわけではないので、復元はあくまでも住居跡の竪穴と、柱が建てられていた地面の痕跡から想像して復元されます。それらは、弥生時代の土器や古墳時代の鏡に描かれた住居らしい絵を参考に復元されたそうです。

 続いて播磨地区の竪穴住居の特徴の説明です。写真のような4本柱のものが一番多く、中央に穴があけられ、その中には炭や灰が残っていたので、この周りで火を使用し、調理や暖をとったことが十分考えられます。また、サヌカイトなどの石器の破片が見つかったことから、食材を切る作業もここでしていたのではないかと想像できます。

 播磨地域の大きな特徴として、弥生時代中期後半頃に、住居の中央に短い楕円形で深さが30~40㎝程度の穴と、長い楕円形で深さが10㎝程度の穴の二つが並んで作られたものが多く発見されました。兵庫県では、その形状から「“いちまる”(10)形土坑」と名付けて呼んでいるそうです。
 その後、阪神・淡路大震災で全国から調査員が復興の応援に駆けつけてくださり、一緒に復興作業をしていた時に、みんなが “いちまる” と呼ぶようになって、この呼び方が全国的に広まって使われるようになったという、エピソードも紹介してくださいました。

 さらに播磨の竪穴住居の特徴について、円形だった竪穴住居が中期末ごろになってやや四角い平面形の家が出現したこと、播磨の平野部では後期前半までは円形か多角形の住居が残るが、後半にはほとんどが方形に変わったことなど、時間いっぱいまで詳しく解説していただきました。
 会場では、多くの方が山下講師のわかりやすい説明に聞き入っていました。

【学芸員によるミニ講座】

 講演会後に行われる恒例のミニ講座も、引き続き山下講師が発掘ひろばで、博物館建築時の大中遺跡の現場の様子を話してくださいました。
 「今居る、この場所の下はこんな状況になっていて・・・、〇〇室の下は・・・」と博物館をよく知る山下講師ならではのお話で盛り上がりました。


このブログの人気の投稿

あなたは縄文人? 弥生人?

人の顔形はさまざま! 顔の輪郭、髪の毛、眉の形、目・まぶた・鼻・口の形は各人ちがいますが、 これらのパーツも縄文人に多い形、弥生人に多い形があります さて、あなたは 縄文人? 弥生人? まずは「自分の顔をつくってみよう」 縄文顔:四角い顔、太い眉、どんぐりまなこ、二重のまぶた、広がった鼻、分厚い唇、毛深い 弥生顔:面長顔、細い眉、切れ長の目、一重のまぶた、小さな鼻、薄い唇、ひげが薄い まず自分の顔をつくってみましょう これらのパーツをつかって・・・ 自分の顔をつくってみましょう そして、左のページを持ち上げ、右の顔に被せるように折りたたみます そして開いてみると 左に顔が移りましたが、 緑 と 橙色 のパーツに 緑は縄文人 橙は弥生人 各パーツが混じっています 現代人は 縄文人的な要素 と 弥生人的要素 が混じっているのです。 中国大陸や朝鮮半島などから各時代に渡来し、混血し、今の日本人になったと考えられます 「自分の顔をつくってみよう」 は 考古博テーマ展示室「人」のコーナーにあります 是非自分の顔をつくって、試してみてください!

明石駅・西明石駅のむかし

特別展「鉄道がきた!ー舟運・海運・馬車道・鉄道ー」 写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 明石駅・西明石駅のむかしの写真があります 明石駅・西明石駅のむかし 昭和9年の明石駅 昭和30年代前半の明石駅 昭和39年の明石駅 昭和47年の西明石駅(新幹線) 西明石駅の在来線と新幹線(昭和47年) 大阪ー神戸間開通140年記念写真展 是非ご覧ください 【お知らせ】 11月1日(土)10:00~16:00 兵庫県立考古博物館とその周辺を会場に 全国古代体験フェスティバル 2014を開催 雨天決行! ---------------------------------------------------------------------- 大阪ー神戸間開業140周年記念写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 11月30日(日)まで 1階エントランスホール ---------------------------------------------------------------------- 次回の特別展講演会 11月8日(土)13:30~15:00 「山陰山陽連絡鉄道敷設計画と播磨・境ルートの検証」 小西 伸彦 (吉備国際大学外国語学部准教授) ---------------------------------------------------------------------- 11月15・16日(土・日) 15日:12:00~15:30 16日:10:00~15:30    ミニSLやミニ特急列車に乗ろう!(ミニ鉄道走行会)    協力:OSライブスティームクラブ 兵庫県立考古博物館 体験広場にて    ※別途観覧券要・開始30分前から整理券配布・お一人様2回まで    ※小雨決行(天候により中止になる場合があります)。 駅そば・駅弁販売     ~駅弁の掛け紙は復刻デザイン!~    姫路名物駅そば、駅弁

#自宅でも考古博 23 「型式の移り変わり」

  当館では考古学の成果だけではなく、考古学での「考え方」についても、さりげなく展示しています。東エントランスを入ったところにある「ときのギャラリー」もそうですが、「発掘ひろば」にもそうした展示があります。  「発掘ひろば」の左奥、壁に丸い水筒のような須恵器が四つ並んでいます。これは古墳時代の「提瓶」(ていへい)と呼ばれる須恵器で、型式の移り変わりを実感していただくための展示です。  考古学では、型式の移り変わりを考える際にポイントとなる「ルジメント」という考え方があります。もともとは生物学の用語で、日本語では「痕跡器官」となります。例えば、人の尾てい骨のように、昔は機能していても、現在は退化して、痕跡のみとなっている器官の事です。  提瓶はこの「ルジメント」が判りやすいものですが、それにあたるのはどの部分でしょうか? 提瓶の型式変化    肩の部分に注目してください。右から丸い輪が両方についているもの、輪ではなく鉤状の突起が付いているもの、ボタン状になっているもの、何もついてないものと変化しているのが分かると思います。  これは提げるための紐を結ぶための部分が、その機能が失われることによって、時期が新しくなるにしたがって、退化していくことを示しています。つまり、展示でいうと右から左にかけて、型式が新しくなるということです。  でも、変化の方向としては「提げるという機能が追加されていくという変化(左から右)でもいいのでは?」というツッコミが入りそうです。実は高校の授業で提瓶を使って、ルジメントの説明をしたことがあるのですが、2回の授業とも生徒の圧倒的多数がそういう意見でした。  では、変化の方向を決めるのは何かを再度考えてみます。機能が追加されていく方向に変化するのであれば、紐がひっかけられないボタン状の段階は必要ありませんよね。したがって、型式が変化する方向は右から左ということになるのです。  ルジメントについて、何となくわかっていただけたでしょうか?実際の型式変化については、ルジメントだけではなく、層位学の考え方(古いものが新しいものより深い地層から出土する)なども加味しています。この考え方についても、「発掘ひろば」で紹介していますので、ご確認ください。  ところで、提瓶の変化はどうして起こるのでしょうか?

過去の記事一覧

もっと見る