約2カ月ぶりに講演会が開催されました。
山下さんは、考古博物館設立準備から開館まで担当され、大中遺跡や播磨地域の古代の遺跡に精通されており、当館の竪穴住居復元プロジェクトにも立ち上げの時から尽力されてこられました。
はじめに竪穴住居とはどんなものか、日本各地の復元された住居の写真で説明していただきました。竪穴住居といいますが、住居だけでなく、倉庫や工房などに使われたこともわかっているので、最近では住居と限定せずに、竪穴建物と言われることもあるそうです。
兵庫県は竪穴住居の発掘調査事例が多く、特に播磨では1000棟以上の調査例の蓄積があるそうです。
竪穴住居は、建物そのものが残っていたわけではないので、復元はあくまでも住居跡の竪穴と、柱が建てられていた地面の痕跡から想像して復元されます。それらは、弥生時代の土器や古墳時代の鏡に描かれた住居らしい絵を参考に復元されたそうです。
続いて播磨地区の竪穴住居の特徴の説明です。写真のような4本柱のものが一番多く、中央に穴があけられ、その中には炭や灰が残っていたので、この周りで火を使用し、調理や暖をとったことが十分考えられます。また、サヌカイトなどの石器の破片が見つかったことから、食材を切る作業もここでしていたのではないかと想像できます。
播磨地域の大きな特徴として、弥生時代中期後半頃に、住居の中央に短い楕円形で深さが30~40㎝程度の穴と、長い楕円形で深さが10㎝程度の穴の二つが並んで作られたものが多く発見されました。兵庫県では、その形状から「“いちまる”(10)形土坑」と名付けて呼んでいるそうです。
その後、阪神・淡路大震災で全国から調査員が復興の応援に駆けつけてくださり、一緒に復興作業をしていた時に、みんなが “いちまる” と呼ぶようになって、この呼び方が全国的に広まって使われるようになったという、エピソードも紹介してくださいました。
さらに播磨の竪穴住居の特徴について、円形だった竪穴住居が中期末ごろになってやや四角い平面形の家が出現したこと、播磨の平野部では後期前半までは円形か多角形の住居が残るが、後半にはほとんどが方形に変わったことなど、時間いっぱいまで詳しく解説していただきました。
会場では、多くの方が山下講師のわかりやすい説明に聞き入っていました。
【学芸員によるミニ講座】
「今居る、この場所の下はこんな状況になっていて・・・、〇〇室の下は・・・」と博物館をよく知る山下講師ならではのお話で盛り上がりました。