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曽我井・沢田遺跡 企画展 ひょうごの遺跡 Vol.5から

今回は、兵庫県多可郡多可町曽我井地区にある奈良時代、平安時代、中世の集落遺跡である曽我井・沢田遺跡をご紹介します。

曽我井地区には、瀬戸内側の明石市を起点として、兵庫県北部但馬地域の朝来市を結ぶ幹線道路である国道427号線が走っています。

今回の発掘調査は、この国道427号線バイパス工事に伴い行われました。

曽我井地区遠景(東から)
多可町は妙見山(標高692.6m)を最高に、標高100~400m級の山地に囲まれた谷盆地を形成しています。

中央を加古川に至る杉原川が南流し、その周囲に氾濫原、河岸段丘、扇状地などの地形が発達しています。

遺跡は杉原川右岸(西側)に発達した河岸段丘・扇状地の上にあります。

曽我井・沢田遺跡
12棟の掘立柱建物が発見され、8世紀から13世紀にかけて継続した古代の集落の姿が明らかになりました。

人形(ひとがた)や斎串(斎(い)み清められた神聖な串)などの木製祭祀具(もくせいさいしぐ)とまじないが描かれている呪符木簡(じゅふもっかん)、「宗我(そが)」、「宗我西(そがにし)」といった地名・姓名に関する墨書土器(ぼくしょどき)や建物を表す「西殿」の墨書土器が出土し、大型の掘立柱建物が発見されています。

「宗我」、「宗我西」と記されている墨書土器については、「宗我」は「そが」と読めることから、現在の地名「曽我井」、近世初期の「播磨国絵図記載の下そがい村」の名のルーツが8世紀に遡ることが判明しました。

また、正倉院文書には奈良時代の播磨国多可郡奈何郷に宗我部(そがべ)を名乗る人々が住んでいたことが記されています。


出土土器



出土人形・木簡





人形出土状況

墨書土器

発掘した調査員によれば、調査区域は旧の谷の湿地状ののところであり、最初に調査区の北西部分から発掘した。そこで人形(ひとがた)を発掘。
人形がでれば墨書土器も現れる確率が高いので、期待して調査していたがなかなか現れず、だいぶ経ってから墨書土器が見つかった。
村のはずれは外れることが多いのに、ラッキーだった。
しかもその文字が当地の地名を表す「宗我」という文字であったため、そこから猛勉強して報告をまとめた。
ここは曽我井地区の西端であり、「宗我西」と書かれた土器が出土し、ここのバス停の名称が「曽我井西」ということから、思わずバス停表示をカメラにおさめた、とのことでした。


文字が書かれた土器、墨書土器から解きあかされた奈良時代から綿々と続いてきた由緒ある地名。
ロマンを感じませんか。

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