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ほったんのなぜなぜ? コーナー


(ほったん)

去年の1年間、学芸員さんにしっかり教えてもらったし、家でも勉強しているので、ボクもかなりの考古学通になったよ。
この調子でいけば、将来「考古博物館の館長になる」というボクの夢も実現しそうだね。


(学芸員)
それは、頼もしいね。でもほったん以外にも優秀なライバルがたくさんいるよ。
先週土曜日から、館入口通路に展示されている「kid's考古学新聞」を読んでごらん。
小学生でも考古学についてすごくたくさんのことを知っているし、観察する視点もなかなか鋭いよ。



本当だ。小学1年生の作品まであるよ。ビックリ!
この東京の6年生の作品「尖った土器はメリットだらけ!?」は、土器の底が尖った形に疑問をもって、そこから自分で答えの仮説を立てて、さらに実際に土器をつくって温度の上昇や水が漏れるかという実験までしてる。
これでは、とてもボクに勝ち目はないよ・・


ボクなんか入口に展示してある縄文式や弥生式土器について教わっているときに、ウンチやおしっこ(肥・こえ)をためる「肥だめ」に落ちそうになったことしか覚えていないよ。



 
まだまだ、修行が必要だね。

ところで、さっきほったんは「縄文式土器」って言っていたけど、それはどこで勉強したのかな?


家にあった本にそう書いてあったんだけど。間違ってるの?


間違いではないけれども、今は「式」は付けず「縄文土器」と言うんだよ。
「縄文」とは縄(なわ)の模様(文様)がデザインされていることをさしているので、「縄文土器」なんだけど、実は縄文時代の土器の全てに縄の模様があるわけじゃないんだ。
縄文土器には「縄模様の土器」と「縄文時代の土器」の二通りの意味があるんだよ。

 
そうなんだ~。縄文時代は全ての土器に縄模様があって、弥生時代は模様のないつるつるした土器だと思っていた。
ところで、弥生時代はどうして「弥生」というようになったの?

 
最初に弥生土器が発見された東京都にある弥生町という町名から名付けられたんだ。
さっき弥生土器をつるつるした土器だと言ってたけど、これは縄模様の縄文土器と比べればの話で、「この形が弥生土器だ」という決まったものはなくて、年代や地域によって異なるし、縄文土器との区別もはっきりと決められるものではないんだ。
今のところ、稲作中心の弥生時代の土器を弥生土器、それ以前の狩漁・採集が中心の縄文時代の土器を縄文土器と呼び分けてるね。

 
そうなんだね。だからいろいろな視点からものを見て、今まで決まっていた事柄も疑って考えてみることも必要ってことか。
なるほど、改めて見てみると、この縄文時代の土器には縄模様がないような・・・


 
言葉選びは難しいなあ~。
じゃあボクも小学生のみんなに負けないように、まずはkid's考古学新聞を読んで研究させてもらうよ。

他の人のやり方を学ぶことも大切だよ。考古学新聞は6月末まで展示しているからじっくり研究したらいいよ。
     

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