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展示づくりの裏側 ~大中遺跡のタコツボと土錘~

 令和4年度春季特別展「弥生集落転生 ―大中遺跡とその時代―」も残すところあと一週間となりましたが、みなさんはもうご覧になられましたでしょうか。

こんにちは、学芸員の藤原です。講演会などで何度かブログのネタにはなっていますが、実は今回が初投稿。この特別展を作るにあたって工夫した展示のポイントをご紹介します。

発見60周年を迎えた大中遺跡は、当初からタコツボがたくさん見つかることが特徴的だと言われていました。タコツボと言っても、私たちが日ごろスーパーで見かける大きなタコを捕まえるためのものではなく、小さなイイダコを捕まえるためにつくられた手のひらサイズのタコツボです。大中遺跡では竪穴住居跡などから、こうしたイイダコ壺がたくさん出土しています。また、タコツボだけでなく、魚を捕る網のおもりとして作られた土錘も見つかっており、大中遺跡に生きた人々の生活と海が密接に関わっていたことがわかります。


今回の展覧会では、タコツボや土錘が使われていた様子がわかるように、縄や網に取り付けた状態で展示をしています。実はこれ、今回の展示図録を作る際に、タコツボや土錘の使い方がわかる写真があればいいなぁと探していたけれど、思うようなものがなかなかみつからず、「どうせなら撮影してみるか!」と思ったのがきっかけになっています。

写真を撮影するにあたって「こんな感じにしたい」というイメージを簡単に紙に書いて、ほどよい縄がないか…天然素材の網がないか…など、他の学芸員に相談し、色々な意見をもらいました。

上のイラストと最初の写真、違うところがあったのですが、気づきましたか?

イラストでは縄を直接タコツボに結びつけていますが、過去に考古博物館でタコ壺を使ってイイダコを捕まえた際は、メインの縄から枝縄を分岐させてタコツボを吊るす「延縄(はえなわ)」で海に沈めたようで、そうしたアドバイスを基に修正しています。

天然素材の網も、なかなか好ましいものが見つからず苦戦していたところ、100均で売っているネットバッグが素材も色合いも良さそうだということを教えてもらい、購入し解体して網を調達しました。そうしてできたのが次の写真です。

なかなか雰囲気のある写真に仕上がったんじゃないかなぁと思います。

シンプルに見えますが、タコツボは30点以上・土錘も20点以上あるので、並べるだけでも地味に手間がかかります。カメラのレンズを覗きながら間隔や隙間を微調整をして、理想のカタチに仕上げます。


展示やタコ壺だけの写真には、樹脂浸けにして腐らないように加工(プラスティネーション)した本物のイイダコも登場しています。


蛸壺漁は大阪湾や播磨灘が発祥の地とされ、弥生時代中期(2000年以上前)から行われてきた伝統的な漁法です。弥生時代から古墳時代になるにつれて九州にまで広がり、現代まで続いています。

特別展ではこうした弥生人の暮らしの姿に加え、弥生時代から古墳時代へと移り行く時代の中で変化する集落の姿を紹介しています。会期は来週7月3日(日)まで。まだご覧になっていない方も、一度ご覧になられた方も、ぜひ足をお運びいただいて楽しんでいただけたらと思います。


学芸課 藤原怜史

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