かつて山辺の道(奈良県)を行くと、石上神宮(天理市)の正門の内側左手に、完全な形の須恵器の甕(かめ)が置かれていて、あまりの大きさに驚いたことがある。大人でもゆうに入れるぐらい。よくも割れずに残っていたものだ。
しかし、しばらくすると甕は姿を消してしまった。それ以来、石上神宮というと、この大きな甕と、悠々と庭に遊ぶ尻尾の長い鶏を思いだすようになった。
「参道入口の大鳥居の北西にあった酒殿(さかどの)の跡から発見されたという高さ97.8cm、口径64.4cm、胴径106cmの超大型の須恵器(すえき)の甕(かめ)で、奈良時代のものとみられます。」
ところが、兵庫県立考古博物館へくると、正面入口の左側に、あの須恵器に劣らないほど大きな壺(つぼ)や甕がズラーと並んでいる。
何だ、何だ? 誰のアイデアだ? 実にすばらしい!
慣れ親しんだ言葉の習慣を全員で変えていくには非常にエネルギーがいる。現状ではこれらの食い違いを、それと知りつつ、研究を進めていくしかないようだ。
壺中の天というではないか。
今回の新型コロナウイルスは一度拡散すると、容易に消滅することはなさそうだ。天然痘のように撲滅されたウイルスもあるにはあるが、それにはたいへんな努力と長い時間が必要だった。
私は専門家ではないが、たぶん当面の間は、インフルエンザのように、危険を承知で、うまくつきあっていくしか方法がないのかもしれない。長期戦になりそうだ。
最前線で闘っている医療関係の皆さんに感謝しつつ、Stay at home。自粛に耐えましょう。
しかし、しばらくすると甕は姿を消してしまった。それ以来、石上神宮というと、この大きな甕と、悠々と庭に遊ぶ尻尾の長い鶏を思いだすようになった。
今回、石上神宮の公式サイトで調べると、甕は社宝「厳甕(いつべ)」として奈良県指定文化財になっていた。知らない間に甕は出世していて、気楽に見たり触ったりできなくなっていたのである。
サイトの説明はつぎのようだ。
「参道入口の大鳥居の北西にあった酒殿(さかどの)の跡から発見されたという高さ97.8cm、口径64.4cm、胴径106cmの超大型の須恵器(すえき)の甕(かめ)で、奈良時代のものとみられます。」
ところが、兵庫県立考古博物館へくると、正面入口の左側に、あの須恵器に劣らないほど大きな壺(つぼ)や甕がズラーと並んでいる。
何だ、何だ? 誰のアイデアだ? 実にすばらしい!
弥生時代の弥生土器の壺から始まって、古墳時代の須恵器の甕、そして江戸時代の陶器の甕まで、合わせて15個もの壺や甕が………。
アレー、困ったぞ。いつの間にか「壺」が「甕」に変わってしまった。タヌキじゃあるまいし。
弥生土器の勉強では、容器の種類の基本は、ものを煮炊きする「甕」と、ものを貯蔵する「壺」と、ものを盛る「高杯(たかつき)」だと習ったし、須恵器の勉強では、須恵器は加熱に弱く、ものを煮炊きするのに不向きで、おもに食卓にならべる「杯(つき)」や「壺」のような食器、水や酒を貯蔵する「甕」に使った、と習ったが…。
どうなってるんだ、考古学者。同じ貯蔵用の容器なのに「壺」と「甕」を混乱してるぞ!
「すみません。そのとおりなんです。」
これには訳があって、研究初期の段階にそれぞれの容器の研究を進めた人たちが違う用語を使っていて、それがそのまま今も使われているからなんだ。研究者のなかには、この混乱を解消するため、時代を超えて同じ用途のものは同じ名前にしょうと頑張っている人たちもいるけれど、なかなか広がらない。
ちなみに、縄文土器では煮炊きに用いる土器を「深鉢(ふかばち)」と呼んでいる。
慣れ親しんだ言葉の習慣を全員で変えていくには非常にエネルギーがいる。現状ではこれらの食い違いを、それと知りつつ、研究を進めていくしかないようだ。
大きな容器はいつの時代にも作られた。
それが何で作られているのか。
どんな形をしているのか。
どう使われたのか。
中に何が入れられたのか。
それぞれ時代によって、集団によって違いがある。それを想像してみてみよう。
夢中になって、気がつけば、あなたは容器の中に吸いこまれているかも…。
夢中になって、気がつけば、あなたは容器の中に吸いこまれているかも…。
壺中の天というではないか。
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私は専門家ではないが、たぶん当面の間は、インフルエンザのように、危険を承知で、うまくつきあっていくしか方法がないのかもしれない。長期戦になりそうだ。
最前線で闘っている医療関係の皆さんに感謝しつつ、Stay at home。自粛に耐えましょう。
皆さん、コロナに負けず、お体大切にお元気でお過ごしください。
(館長 和田晴吾)