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紙芝居「アメノヒボコものがたり」

     当館では日曜日にボランティアグループ❝ひょうご考古楽俱楽部❞の皆さんによる「紙芝居」を行っています。 今、上演している演目は冬季企画展「但馬国出石郡家と袴狭遺跡」に関連した内容の「アメノヒボコものがたり」です。 普段は作画、内容とも倶楽部の【紙芝居をつくる会】メンバーのみなさんが、一生懸命相談しながら作成していますが、今回は企画展関連ということで、博物館職員の2名がそれぞれ絵と文を担当してしています。 登場人物がとてもかわいいキャラクターになっています。 では、その紙芝居の1枚目です。 じゃ~ん! こちらです。 正面に登場したのが朝鮮半島の新羅の国(503~935年)の天日槍(アメノヒボコ)王子、右隣の人物が阿加留比売(アカルヒメ)という日本出身の美しい女性です。 ヒメの方の衣装はわかりますが、王子はTシャツに短パン、それに板のようなものを持っています。 左の方の人物と自転車(バイク?)も謎です。 それにしても、手に持っている板は何なんでしょうか。まさか? では、2枚目に移ります。 やっぱり・・・   サーフボードでした! アメノヒボコがサーフボード? 気になる方は日曜日の14時に確認しに来てください。メインホールでやってます。 予約も不要ですよ。 ちなみに、このアメノヒボコを題材にした紙芝居は10年以上前にも上演していました。 その時の資料が残っていたので、そちらもどうぞ。 ボランティアさんが描いた絵です。 時代考証も播磨国風土記に基づいて、しっかりできているようです。 どうやら、さっきのサーフボードは古代船だったみたいです。 こちらの「天日槍」が見てみたいという方は一度、担当のボランティアさんに相談してみてはどうでしょうか(ただし、紙芝居を行うにあたっては、皆さんかなり練習を積み上げたうえで開演されているので、どういう返事になるかはわかりませんが) 紙芝居グループは平成19年に活動を開始したということですから、もう18年以上の実績があります。 興味のある方は、今までにどんな作品が上演されたのか、聞いてみるのもいいかもしれません。 ☆☆☆ ひょうご考古楽俱楽部「紙芝居をつくる会」 ☆☆☆ 上演日時   定例 第3日曜日 14時から 特別・企画展開催中は毎週日曜日 14時から                          お...

ほったんのなぜなぜコーナー 「ツボとカメ」

  ほったん 先日、丹波市の柏原藩陣屋跡で藩校「崇広館」の講堂跡の発見についての現地説明会があったんだ。 ボクも行きたかったけれど、 10 月の下滝野・奥瀬遺跡では、興奮してはしゃぎ過ぎたため、今回はお家での待機命令! でも、職員さんが「勉強しておくように」と資料をくれたんだ。 とても、興味深い内容だったけれど、ひとつ気になったことがあって・・・ それは「カメ」。漢字で書くと「甕」らしいけど、とても覚えきれない。 もらった写真の中に「桶(オケ)と甕(カメ)」というのがあるんだけれど、焼きものの入れ物って普通は壷(ツボ)と言うんじゃないかと思うんだ。  近世の埋桶 ( 左 ) と埋甕 ( 右 )(柏原藩陣屋跡 ) あっ 職員さんがいたから、早速聞いてみよう! 職員さん やぁ ほったん 早速、資料を読んでるなんて、優秀だね。「壷と甕」の表示間違いがあるって? ほーなるほど。なかなかいいところに気が付いたね。確かにこの二つの言い方には線引きが難しいところがあるんだ。 一般的に言うと 「ツボは胴部分が膨らんでいて口が狭くなった容器」、「カメは胴部分は膨らんでいて、口が広い」といったような定義があるけれど、時代によって形状や用途が変わるので、きっちりと区分けするのは難しいかもしれないね。 結構、いい加減なんだなぁ。もっとはっきりしてほしいよ。 じゃあ、ほったんは食器のおわんとおさらの区別がきっちりできるかい? 確かにご飯を入れる茶碗やケーキをのせるお皿なんかはわかりやすいけれども、皿にも深いものがあって椀と区別しにくいものもあるね。 土器の形状にもいろいろあって壺や甕のほかにも坏(つき)、鉢(はち)、椀(わん)、それから館のイベントで使う土器パズルは高坏(たかつき)形土器という種類なんだよ。   土器パズル:高坏形土器 ※ このモデルは、神戸市東灘区の 坊ケ塚遺跡(ぼうがづかいせき) で 見つかった方墳(ほうふん)出土の須恵器 「高坏」 です。   蓋(ふた)が伴うことから 「有蓋高坏(ゆうがいたかつき)」 と よばれています。        〔イベント時に登場するので、また挑戦してみてね〕 いろいろあって頭がこんがらがってきちゃった。 もう少しわかりやすい方法はないのかな。 実は専門的にな...

年明け早々ですが、現地説明会があります。

年明け早々ですが、現地説明会があります 新年、あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いします。 さて、 まだ正月気分の方もいらっしゃるかもしれませんが、発掘調査の現地説明会があります。 今回の現場は、丹波市柏原町の「柏原(かいばら)藩陣屋跡」です。 柏原藩は、慶長3年(1598)、あの織田信長の弟、信包(のぶかね)が封ぜられましたが、家系が絶えてしまい、天領となりました。その後、元禄8年(1695)に大和宇陀郡松山より織田信休(のぶひさ)が移封され、その子孫が代々2万石を領し、明治維新まで織田家が藩主となっていた由緒ある藩です。 藩邸は正徳4年(1714)にはじめて造営されましたが、文政元年(1818)に焼失してしまいます。その後再建され、明治5年(1872)の学制発布の翌年に豊岡県より払い下げられ、崇広小学校の校舎となりました。 柏原藩陣屋が大名陣屋の構造としてのみならず、それが明治の小学校校舎に転用され、現在も続いていることは、日本の学制の発達を知る上でも数少ない事例です。 こうした理由から、昭和46年(1971)、「柏原藩陣屋跡」として中心部分が国史跡に指定されました。 さてさて、 発掘調査は柏原総合庁舎の長寿命化改修工事に伴って実施されました。 調査の結果、 柏原藩陣屋内の土地利用が分かる重要な成果が得られると共に、 近世末(約150年前)に柏原藩の藩校として創設された崇廣館(そうこうかん)に関わる遺構が見つかりました。 崇廣館は安政5年(1858)に設置され、明治時代以降も施設の一部は引き続き利用されるなど、丹波地域の教育拠点としての役割を果たしていました。 石組み遺構 ( 手前の石積み箇所 ) と礎石 (奥に続く石列内 ) 陣屋に関わる遺構も見つかっています。 近世後期の瓦列です。建物あるいは土地を区画した溝の一部と考えられます。 。 明治時代の桶(おけ)と甕(かめ)も出土しました。 この遺構は崇廣館に隣接する厠(かわや=トイレ)の跡と考えられます。    埋桶 ( 左 ) と埋甕 ( 右 ) 【現地説明会情報】 「柏原藩陣屋跡 現地説明会」 日 時 : 令和8年1月10日(土) 10:30~12:00   場 所 : 柏原藩陣屋跡発掘調査現場 ※JR「柏原駅」から徒歩10分程度です。 ※駐車場あり。 (台数に限りあ...

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