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遺跡ウォーク 「 赤松氏ゆかりの城跡をめぐる 」 開催!!


今月の10日・日曜日に、遺跡ウォーク 「 赤松氏ゆかりの城跡をめぐる―赤穂郡上郡町白旗城― 」を 開催しました。


 白旗(しらはた)城は、赤穂郡上郡町赤松にあった山城で、赤松氏城跡の一つとして国の史跡に指定されています。


 当日はあいにくの空模様で、白旗城に登ることはかないませんでしたが、麓まで行き、遺跡の様子をじっくり学びました。そのほか、周辺の赤松氏ゆかりの仏閣や遺跡を見学しました。


正面に白旗城を望む
本丸まで登れないのが残念・・・

白旗城の鎮守
 白旗八幡神社の跡にて

円心の子貞範が建立した栖雲寺(せいうじ)の跡
この後、麓を離れてから雨がふりだしました
<解説>~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
 
 白旗城が築城された時期については諸説ありますが、建武3年(1336)に、九州から東上する足利尊氏の軍勢を迎えうつため、京から播磨に下った新田義貞軍の西下を食い止めるために築城されたとする説が有力となっています。

 円心は、同年白旗城に立てこもり、新田義貞率いる追討軍6万余騎を迎え撃ちます。新田軍は50日にわたって城を包囲しますが、城を陥落させることはできず、尊氏の東上によって新田軍は退却を余儀なくされます。
 この白旗城の戦いは、尊氏に軍備を整えるチャンスを与え、後の湊川の合戦で、足利方が勝利を得る遠因となります。

 赤松氏は、嘉吉元年(1441)に勃発した嘉吉(かきつ)の乱でいったん滅亡しますが、白旗城は、赤松氏再興の後、たびたび改修を繰り返し戦国時代まで存続します。

 昭和63年から平成元年にかけて行われた測量調査で、15世紀代の備前焼擂鉢、青磁無文椀、平瓦などが採集されています。

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 予定どおりのコースとはなりませんでしたが、上郡町の赤松氏の足跡を堪能した一日となりました。



特別展 「 動乱!播磨の中世~赤松円心から黒田官兵衛まで~ 」
12月1日(日)まで開催中です。

白旗城近くの、山野里宿遺跡の遺物も展示中です。

嘉吉の乱で、赤松満祐が白旗城にたてこもった際、山里宿の倉に貯蔵していた兵糧米を白旗城に運搬したことが史料に記されています。
こちらの史料 国宝 「播磨国矢野庄供僧方年貢等散用状」部分応永34年(1427)分(京都府立総合資料館蔵)展示しています。


まだ間に合います!!
ぜひ足をお運びください!!

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