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講演会「兵庫の鴟尾」

 現在開催中の特別展「屋根の上の守り神 -鴟尾・鯱-」に関連する講演会が開催されました。テーマはずばり、『兵庫の鴟尾』です。



 講師は、(公財)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部の垣内拓郎主査です。
 盛りだくさんのメニューで兵庫の鴟尾の歴史や種類について解説していただきました。

 会場は、新型コロナ感染症対策で定員72名とさせていただきました。ほぼ満席です。

 始めに鴟尾について、素材や大きさの説明がありました。鴟尾は、古代寺院などの建物頂部の目立つところに使われています。写真の東大寺大仏殿の屋根の頂部の両端に置かれているものがそうです。(写真は当館特別展展示中の資料から)

 鴟尾は、高さが1m前後の大型のものが多いそうです。写真の東大寺大仏殿の鴟尾もかなり大きいんでしょうね。素材は主に瓦製ですが、石製、金属製(銅製)などもあるようです。

展示中の鴟尾復元模型(½)
(平城宮第1次大極殿で使用 奈良文化財研究所蔵)
  
 鴟尾の研究は、包括的・総合的な研究として、1980年の奈良文化財研究所の『日本古代の鴟尾』、大脇潔氏がまとめた1999年の『日本の美術 鴟尾』、2002年の『鴟尾の変遷』があり、2020年には奈良文化財研究所の『鴟尾・鬼瓦の展開Ⅰ-鴟尾-』のシンポジウムが行われたことなどを挙げられました。
 兵庫県は、瓦製鴟尾の出土遺跡が32か所あり、全国では2020年度現在296遺跡あり、近畿地方に多いとのこと。

【鴟尾の部位の名称 】
 (奈良国立文化研究所『日本古代の鴟尾』1980年から引用)
 鴟尾は、崇峻元年(588年)に百済から瓦が伝来され、最古の寺、飛鳥寺の屋根瓦に使われて以降、7世紀後半から8世紀前半頃に古代寺院が全国的に増加するとともに生産、供給が拡大し、分布域が広がっていき
(624年に46か所あった古代寺院が、692年には545か所に急増した)、平安時代末頃(12世紀頃)に終焉したとのことです。

 続いて、兵庫の鴟尾について、分布状況、様相について、詳しく紹介されました。
 県内の鴟尾の出土数32の分布状況は、但馬2か所、丹波2か所、摂津西部1か所、播磨27か所で、圧倒的に播磨地域での出土が多く、白鳳時代・奈良時代のものが大半だそうです。
 鴟尾の種類としては、以下の4種に大別して説明がありました。
・百済様式の鴟尾として、胴部有段鴟尾、沈線文鴟尾、蓮華文帯鴟尾
・唐様式の鴟尾
・地域色を持つ鴟尾として、山陰系鴟尾、寒風窯系鴟尾、(東播系鴟尾)、(西播系鴟尾)
・その他分類未詳鴟尾
 それぞれにモデルとなる寺院の話や、沈線文鴟尾、蓮華文帯鴟尾にはさらに細かな分類があることなど、中身の濃い解説をしていただきました。

 最後に、兵庫の鴟尾の研究についてはまだまだ課題が多くあるというお話で講演会を締めくくられました。

 『鴟尾』に興味を持たれた方は、ぜひ開催中の特別展をご覧ください。
 11月28日まで開催しています。展示品の解説図録(1100円)も今のところ残部がありますので、この機会にいかがでしょうか。

*  *  *  *  *

 11月3日~5日(文化の日)、13日と14日(関西文化の日)は特別展を割引でご覧いただくことができます。(大人500円→300円)
 ぜひご来館ください。 

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