テーマ展示室の「交流」のコーナーに入ると、目の前に大きな石棺が現れます。
古代船(準構造船)とともに、圧倒的な存在感を発揮していますね。
この展示品も古墳時代と同じように、高砂市から加古川市にかけて産出する「竜山石(たつやまいし)」を使って復元しています。しかも、どうせなら竜山石製石棺のうちで最大、しかも現在は陵墓参考地として目にすることができない見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳ともいいます。奈良県橿原市)の家形石棺を原寸大で復元し、修羅という木ソリで運ばれていく様子を再現しています。
さて、古墳時代の有力者が亡くなると、なきがらと一緒にお墓に入れられる貴重品がありますよね?
そう、副葬品です。
遺跡の発掘調査に憧れ、考古学を志す者が圧倒的に夢見るのが古墳の発掘。そして一体どんな副葬品が眠っているのか、想像するだけでワクワクしてきませんか。
私も中学時代に、藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の未盗掘の石棺が発掘されるという報道に接しました。ファイバースコープを入れて石棺内部の様子を探るというニュースを、テレビにかじりついて固唾を飲んで見守った思い出があります。
ところで、古墳にはどのような副葬品が、どのような場所に納められていたのでしょうか?
大きな古墳は過去に盗掘されていることが多く、なかなか埋葬当初の様子をうかがい知ることができる機会は多くありません。長年発掘調査に携わっている調査員でも、埋葬当初のままの石室を掘り進み、手つかずの棺の蓋をあける幸運な経験に恵まれるのはほんの一握りの人でしょう。
私もまだ蓋を開けたことはありません。
では、古墳の埋葬施設に副葬品の置かれた様子を見てみましょう。
イラストは古墳時代の前期(3世紀後半から4世紀頃)の埋葬施設を佐賀市金立銚子塚(きんりゅうちょうしづか)古墳の発掘調査成果をもとに描いた想像図です。
有力者のなきがらの右脇には、大刀が先を足元に向けて置かれています。枕元には鏡や石製の腕輪が、そして足元にはよろい(短甲)がありますね。
土の中では、木製品などの植物質の製品は腐ってなくなってしまうことが多く、刀剣も柄(つか)や鞘(さや)は残らず、金属の刀身のみの状態で見つかります。
刀剣は実際に腰にさした向きに近く、刃先を足元に向けています。北部九州では、すでに弥生時代の甕棺墓に刃先を足元に向けた状態で副葬された例があります。
時折、被葬者の肩あたりに刃先を頭の方に向けた短めの剣のようなものが見つかることがありますが、これは長い柄をつけた槍だと考えられます。
次に古墳時代中期(5世紀頃)の埋葬施設、姫路市宮山古墳の第3主体を見てみましょう。
この時期は朝鮮半島から先進的な文化が伝わり、副葬品にも変化が見られます。鉄素材となる延べ板(鉄鋌)や、土器の石室内への副葬、穴窯で焼いた硬質の土器(須恵器)、馬具、金のイヤリング(垂飾付耳飾:すいしょくつきみみかざり)の副葬もこの時期からです。
古墳時代後期(6世紀から7世紀前半)の埋葬施設の代表例は、何といってもやはり奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の家形石棺でしょう!
地域の有力者とは違って、さすがに倭国トップクラスの豪族の棺。貴人が身につけたであろう王冠、ピアス(金環)、銀製のネックレス、銅製の大帯、金銅製の靴など、ゴージャスで威厳たっぷりの副葬品のラインナップ。
2体のなきがらが埋葬されていたようで、耳飾りや足の骨などから、おおよその体の位置がわかりますね。
このように副葬品は、身につけられていたアクセサリーや武器、武具などがあり、埋葬された人物の性別や身分(社会的な性格や地位)を知る手がかりとなります。
古墳の埋葬空間では、なきがらのまわりに副葬品が並べられ、各地から招かれた参列者が見守る中、後継者による葬送儀礼が首長権継承儀礼の意味も込めて執り行われたことでしょう。後継者から見ても、参列者から見ても、葬られる故人にふさわしい副葬品が並べられたわけですが、当然、生前から故人が愛用し、墓に入れて欲しかった遺品も含まれていることでしょうね。
突然ですが、もし、あなたが副葬品を入れてもらうとしたら、何を選びますか?
自分の好きなもの、長年愛用したもの、自分らしいもの・・・。
さてさて、それではこの写真の人物は副葬品から見てどんな人なのでしょう?
発掘調査の掘り具(手ガリ)や測量用具(箱尺)、ゴム長靴などから、遺跡の調査に携わる職業であったようです。枕元には遺物の実測に使う型取り器(マコ)が置かれ、遺跡の発掘調査報告書、考古学の論文集も立てかけられており、考古学を専門としていたのでしょう。
潜水用のスーツを身にまとい、身の回りにジャケットや水中メガネ(マスク)、足ヒレ(フィン)が見られることから、海に潜る習慣もあったにちがいありません。ちなみに12、13歳頃までに潜水を始めている人の耳の骨の穴の形に特徴(外耳道骨腫、俗称サーファー耳)が認められますが、この人物には認められないので仕事として海に潜っていたのではないようです。
そして、酒瓶(泡盛)やビアサーバーを入れてもらうなんて、さぞかしお酒を飲むのが好きだったのでしょうね。
・・・・・・
テーマ展示「交流」のコーナーでは毎週土曜日14:30~15:30に、竜山石家形石棺に入ることができます(コロナウィルス感染予防のため当面の間休止中)。
素敵な副葬品をご用意しておりますので、大王になった気分で寝転んで記念撮影をしてみてはいかがでしょうか。
古代船(準構造船)とともに、圧倒的な存在感を発揮していますね。
この展示品も古墳時代と同じように、高砂市から加古川市にかけて産出する「竜山石(たつやまいし)」を使って復元しています。しかも、どうせなら竜山石製石棺のうちで最大、しかも現在は陵墓参考地として目にすることができない見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳ともいいます。奈良県橿原市)の家形石棺を原寸大で復元し、修羅という木ソリで運ばれていく様子を再現しています。
家形石棺
竜山石で復元(当館テーマ展示室)
さて、古墳時代の有力者が亡くなると、なきがらと一緒にお墓に入れられる貴重品がありますよね?
そう、副葬品です。
遺跡の発掘調査に憧れ、考古学を志す者が圧倒的に夢見るのが古墳の発掘。そして一体どんな副葬品が眠っているのか、想像するだけでワクワクしてきませんか。
私も中学時代に、藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の未盗掘の石棺が発掘されるという報道に接しました。ファイバースコープを入れて石棺内部の様子を探るというニュースを、テレビにかじりついて固唾を飲んで見守った思い出があります。
藤ノ木古墳の記者発表を行う
石野名誉館長
(当時奈良県立橿原考古学研究所副所長)
朝日新聞社『アサヒグラフ
藤ノ木古墳大特集』(1988)より
ところで、古墳にはどのような副葬品が、どのような場所に納められていたのでしょうか?
大きな古墳は過去に盗掘されていることが多く、なかなか埋葬当初の様子をうかがい知ることができる機会は多くありません。長年発掘調査に携わっている調査員でも、埋葬当初のままの石室を掘り進み、手つかずの棺の蓋をあける幸運な経験に恵まれるのはほんの一握りの人でしょう。
私もまだ蓋を開けたことはありません。
では、古墳の埋葬施設に副葬品の置かれた様子を見てみましょう。
イラストは古墳時代の前期(3世紀後半から4世紀頃)の埋葬施設を佐賀市金立銚子塚(きんりゅうちょうしづか)古墳の発掘調査成果をもとに描いた想像図です。
前期古墳の副葬状況想像図
(佐賀県立博物館『日本の古墳』1998より)
有力者のなきがらの右脇には、大刀が先を足元に向けて置かれています。枕元には鏡や石製の腕輪が、そして足元にはよろい(短甲)がありますね。
土の中では、木製品などの植物質の製品は腐ってなくなってしまうことが多く、刀剣も柄(つか)や鞘(さや)は残らず、金属の刀身のみの状態で見つかります。
刀剣は実際に腰にさした向きに近く、刃先を足元に向けています。北部九州では、すでに弥生時代の甕棺墓に刃先を足元に向けた状態で副葬された例があります。
時折、被葬者の肩あたりに刃先を頭の方に向けた短めの剣のようなものが見つかることがありますが、これは長い柄をつけた槍だと考えられます。
次に古墳時代中期(5世紀頃)の埋葬施設、姫路市宮山古墳の第3主体を見てみましょう。
中期古墳の副葬状況
姫路市宮山古墳
(姫路市埋蔵文化財センター『宮山古墳』2015より)
この時期は朝鮮半島から先進的な文化が伝わり、副葬品にも変化が見られます。鉄素材となる延べ板(鉄鋌)や、土器の石室内への副葬、穴窯で焼いた硬質の土器(須恵器)、馬具、金のイヤリング(垂飾付耳飾:すいしょくつきみみかざり)の副葬もこの時期からです。
古墳時代後期(6世紀から7世紀前半)の埋葬施設の代表例は、何といってもやはり奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の家形石棺でしょう!
後期古墳の副葬状況
奈良県藤ノ木古墳
(毎日新聞社『アサヒグラフ
藤ノ木古墳大特集』1988より)
地域の有力者とは違って、さすがに倭国トップクラスの豪族の棺。貴人が身につけたであろう王冠、ピアス(金環)、銀製のネックレス、銅製の大帯、金銅製の靴など、ゴージャスで威厳たっぷりの副葬品のラインナップ。
2体のなきがらが埋葬されていたようで、耳飾りや足の骨などから、おおよその体の位置がわかりますね。
このように副葬品は、身につけられていたアクセサリーや武器、武具などがあり、埋葬された人物の性別や身分(社会的な性格や地位)を知る手がかりとなります。
古墳の埋葬空間では、なきがらのまわりに副葬品が並べられ、各地から招かれた参列者が見守る中、後継者による葬送儀礼が首長権継承儀礼の意味も込めて執り行われたことでしょう。後継者から見ても、参列者から見ても、葬られる故人にふさわしい副葬品が並べられたわけですが、当然、生前から故人が愛用し、墓に入れて欲しかった遺品も含まれていることでしょうね。
突然ですが、もし、あなたが副葬品を入れてもらうとしたら、何を選びますか?
自分の好きなもの、長年愛用したもの、自分らしいもの・・・。
さてさて、それではこの写真の人物は副葬品から見てどんな人なのでしょう?
竜山石製の石棺に埋葬された学芸員
(当館テーマ展示室)
副葬品(枕元)
副葬品(足元)
発掘調査の掘り具(手ガリ)や測量用具(箱尺)、ゴム長靴などから、遺跡の調査に携わる職業であったようです。枕元には遺物の実測に使う型取り器(マコ)が置かれ、遺跡の発掘調査報告書、考古学の論文集も立てかけられており、考古学を専門としていたのでしょう。
潜水用のスーツを身にまとい、身の回りにジャケットや水中メガネ(マスク)、足ヒレ(フィン)が見られることから、海に潜る習慣もあったにちがいありません。ちなみに12、13歳頃までに潜水を始めている人の耳の骨の穴の形に特徴(外耳道骨腫、俗称サーファー耳)が認められますが、この人物には認められないので仕事として海に潜っていたのではないようです。
そして、酒瓶(泡盛)やビアサーバーを入れてもらうなんて、さぞかしお酒を飲むのが好きだったのでしょうね。
・・・・・・
テーマ展示「交流」のコーナーでは毎週土曜日14:30~15:30に、竜山石家形石棺に入ることができます(コロナウィルス感染予防のため当面の間休止中)。
素敵な副葬品をご用意しておりますので、大王になった気分で寝転んで記念撮影をしてみてはいかがでしょうか。
(学芸課 上田 健太郎)