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兵庫考古学研究最前線2019 「アルタイ山中のクルガン」

冬には珍しくあたたかい日が続いた年始…
皆さまいかがお過ごしでしたか。
HPメンテナンスのため、少しブログ更新の間が開いてしまいました。
このブログをいつも読んでくださっている皆さま、お待たせしました。
1月11日(土)に今年初の講演会、
「アルタイ山中のクルガン(墳墓)」を開催しましたのでレポートします。
講師は、当館の和田 晴吾 館長。
今回は、まだロシアの国名がソビエト連邦だった約30年前…
1991年の夏に参加した「パジリク王墓日ソ合同調査」のことを振り返りつつ、
日本とアルタイ地方の墳墓の比較と、
その共通点から見える葬制の関係についてを話しました。
アルタイ地方とは、中国・モンゴル・カザフスタンの国境付近のことです。
気温が低くて一年の多くを氷に閉ざされているうえ乾燥しているため、
墳墓などの保存状態が非常によいことで知られていました。
この地で発展したスキタイ系遊牧騎馬民族の歴史と文化を探るため、
ソ連と日本・アメリカ・イギリス・韓国などが共同研究を行いました。

日本は保存科学の研究者が中心で、現地の宿泊は
コンパネ作りの小屋に軍用の寝袋という厳しい環境でしたが、
当時は行くこと自体が難しい地域だったため、参加できて幸運だったと振り返ります。
大阪から新潟経由でソ連のハバロフスク空港についた後、
軍用のヘリコプターに乗って500Km以上の距離を移動。
調査地まで、給油を繰り返しながら、約5時間かかったそうです。
写真は、館長のチームメンバー(左から二番目が和田館長)。
寒い時期が長く、夏の2~3か月しか作業ができないため、調査はスピード勝負。
各チーム約10日の滞在で、和田館長の次の回の調査隊には、
当館の石野名誉館長が参加しています。
クルガンとは、積石(もしくは盛土)のある墳墓のことで、
日本の古墳やヨーロッパのケルンによく似ています。
形状や大きさは地域や時期により異なりますが、円形や方形があり、
直径約10mから45mほどのクルガンが確認されています。

調査した地域にあるクルガンは、円墳で小型のものが多く、
直径約15mのクルガンが主体でした。
基本的にクルガンは、①東に立石(立石群)、②西に祭祀遺跡があり、
③中央の墓坑内の遺体が東枕で納められています。

遺体は男女一対で埋葬されている場合が多く、
また遊牧騎馬民族の墓であるため、木槨内の木棺の北側には、
馬や、馬をかたちどった木製品などが納められています。
真東の墳丘外縁の列石上には、石臼が一対置かれていました。
日本の古墳と同じように、クルガンも方位を意識した祭祀がなされているようです。

また10Kmほど下流にある「クトゥルグンタシ地区」のクルガン調査では、
日本製のユンボやベルトコンベアを導入して発掘調査を行いました。

調査したクルガンは約28mの規模で、
2重構造の木槨のなかに、刳抜式の木棺が遺存していました。
和田館長が発掘調査で刳抜式木棺の実物を見るのはこの時が初めてだったそうです。
木棺の両側には青銅の釘が打ち込まれて、魚の目玉のようにも見えます。
アルタイ地方では木棺に鯰(なまず)など魚の絵を描いたものや、
魚形の馬飾りが見つかっていることから、
魚を神聖なものとして捉え、水に関連した葬送儀礼が行われたのではないかとのこと。
西側には祭祀遺跡とみられる直径約2mのストーンサークルが9つほど見つかりました。
ここでもクルガンの基本どおり、①東に立石、②西に祭祀遺跡、
③東枕にした遺体が確認され、馬の骨が出土しました。

直径40mを超える大型クルガン群や、岩壁画の紹介もありました。
壁画には、大きな角のシカやヤギ、ヒツジなど様々な動物が描かれています。
中央アジアの遺跡と聞くと、一般には壁画のイメージのほうが強いかもしれませんね。


日本国内だけではなく、さまざまな国の墳墓や副葬品を比較してみると、
墓にこめられた共通する思想や葬礼がわかる。
また墳墓を研究することは、その地域に存在した権力のかたち、
つまり社会の様子を考える大きな手がかりになる。
今後も国内外の墳墓などから研究を進めていきたい、と講演を締めくくりました。
ふだん目にすることの少ないアルタイ地方の講演とあって、
会場は多くのお客さまで賑わいました。
 ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。

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