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報告 講演会「大池ノ南遺跡の調査-白洲次郎祖父の屋敷跡-」

昨日の12月7日、当館にて 講演会「大池ノ南遺跡の調査-白洲次郎祖父の屋敷跡-」を開催しました。講師は当館学芸課課長補佐の別府洋二です。


58名のご参加
皆さん熱心に聞き入っていました
大池ノ南遺跡は、三田市の三田城跡及び古城遺跡を望む場所に位置しています。

 史料によると、平成20年度・22年度に兵庫県教育委員会で発掘調査が実施された区域については、江戸時代武家屋敷地の一画でした。
 幕末には、昭和の偉人で日本のオピニオンリーダーと呼ばれた白洲次郎の祖父で、白洲退蔵の屋敷地となっていました。退蔵は三田藩の家老職を務めた人物で、後に初代兵庫県会議員や岐阜県大書記官まで務めました。

講師 当館学芸課課長補佐 別府洋二


調査地遠景(南から)
調査区は中央矢印の付近。北に大池を望む




調査区全景(西から)
東側は武家屋敷のあった現在の屋敷町


井戸跡
当時はおいしい水が湧き出ていたとか
 
 退蔵の屋敷地を含む一帯には、昭和4年に兵庫県立三田高等女学校(当初は兵庫県三田高等女学校、後に兵庫県立三田高等女学校に改称、現在の兵庫県立有馬高等学校に集合)が建設され、後に現在の県営住宅敷地となりました。
 当時女学校に通っていた女性のお話では、白洲家屋敷以来の井戸が女学校時代も存在しており、「白洲さんの井戸」と呼ばれ、おいしい井戸水が湧き出ていたとのこと。発掘調査の結果、件の井戸と推測される井戸跡が見つかりました。



三田焼
1月からの企画展でご覧いただけます!!

 屋敷跡に係る一帯の遺構・遺物のほとんどが18~19世紀代を中心とするもので、白洲家の暮らしぶりを知る貴重な資料となりました。
 土器・陶磁器類は関西系の土器が多く、特に三田焼が目立ちました。完形のもの以外にも、不良品・型・窯道具も出土し、近隣に窯が存在する可能性が考えられています。


 
58名様のご来場で、皆さん大変熱心に聞き入っていらっしゃいました。
おかげさまで、講演会は盛況のうちに終了しました。どうもありがとうこざいました。



予告

■企画展 「ひょうごの遺跡2014―調査研究速報―」
平成26年1月18日(土)~3月30日(日)

今回の講演会でご紹介した大池ノ南遺跡の資料も展示されます


■講演会 考古学研究最前線4 「播磨国風土記の東西交流」 
01月11日(土)  13:30~15:00
 講師:石野博信(当館館長)
 当日受付、定員120名、無料

ぜひご来場ください!!



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