令和4年から始まった「弥生の御朱印巡り」も当初19 遺跡・20施設だったのが、 今年度には新たに4遺跡・4施設が加わり、合計39 遺跡・42施設となりました。 (東海・九州北部地域で参加数が増えた他、群馬県、石川県の遺跡(施設)が新たに加わることで、連携範囲が拡大しています) ちなみに兵庫県は7施設で全国一位をキープしています。 「弥生の御朱印」を集めながら、全国の個性豊かな弥生時代の遺跡を巡っていただき、教科書では語り尽くせない多様な弥生時代の姿を体感してください。 この御朱印巡りのいいところは、一般のスタンプラリーにあるように、「いくつか集めたから景品をもらえる」といった 物欲に訴えるものではなく、ただひたすら究極の自己満足を追い求めていくところに価値があるのではないでしょうか。(と言いながら、当館は県立ミュージアムスタンプラリーにも参加していますのでこちらも御贔屓に) 「弥生の御朱印巡り」のパンフレットにはその作法(手順)に次のように記されています。 一 野帳、メモ帳などを用意する。 ニ 1か所目の参加施設を訪れ、押印しじっくり遺跡を堪能する。 三 2か所目以降を訪れ御朱印コンプリートの野望を抱く。 そして 四 施設すべてを巡りコンプリート後、友人に弥生時代の素晴らしさを語ります(約2時間) 以上です。ただこのためだけに42施設を巡り歩くのです。 なんという潔さでしょうか。これが本来の日本人のこころではないでしょうか(ただし、友人を失わないようにだけは気を付けてください) そんな御朱印巡りにこのたび、新たなグッズ「御朱印帳&弥生時代主要遺跡マップ」が誕生しました。 この御朱印巡りの企画を始めた、鳥取県の「とっとり弥生の王国推進課」さんが作製されました。 B2版サイズなのでポスターとして飾ることもできますが、表面が❝御朱印スペース❞となっていて区画の仕切内に押印するようになっています。 裏面:弥生時代主要遺跡マップ 表面:御朱印スペース 普段はこのように折り畳めるようになっているので、持ち運びにも便利です。 12月6日(土)から配布を開始しますが、数に限り(先着100名様)があるので、御希望の方はお早めに当館までお越しください。
今季の秋季特別展で取り上げている「播磨の考古学-今里幾次の弥生と瓦と駅家研究-」に登場する「今里幾次」さんとはどのような人だったのでしょうか? チラシの説明文を読んでみると「銀行員としての職業をもちながら生涯にわたり考古学の研究を進めた」とあります。大学教授などの専門家ではなく、普通の民間会社員が兵庫県の考古学研究の黎明期を牽引した、ということのようです。 氏の研究活動の特徴は、綿密かつていねいに整理された調査記録、克明な資料の観察という地道で息の長い調査の裏付けの上に基づいた 考察である、と言えるでしょう。 一方、銀行員としても地位のある役員にまで上り詰めています。 これは今でいうところの大谷翔平、二刀流の達人だった、といえるのではないでしょうか? すごい人ですね。 そこで、ご本人が残された『播磨古瓦の研究』の中にある資料を参考に、今里幾次という人物に触れてみたいと思います。 今里氏と考古学との出合いは昭和 11 年 (1936) の秋と記されています。 氏は大正 8 年 (1919) 生まれですので、当時の年齢は 17 歳。その年の春に兵庫県立姫路商業高校を卒業し、 4 月から五十六銀行(のちの神戸銀行)姫路支店で勤務を始められました。 子供のころ、家では予習・復習をはじめ試験勉強をするような人ではなかったということですが、勉強自体は好きで成績も悪くはなかったそうです。 ただ、家の経済事情や長男であるということから、進学をあきらめて銀行へ就職をされました。 本人としては、小学生のころから鉱物や地質が好きで、将来は秋田鉱専という当時では国内唯一の専門学校に行き、将来は鉱山技師になるという夢を抱いていたそうです。 地理・歴史は嫌いではなかったのですが、神話から始まる古代史には大きな不満を持っていました。そんなとき、古代人の残した遺跡・遺物を研究する「考古学」という学問があることを知り、新たなジャンルとして興味を持たれました。 どうやら、このあたりが考古学者としての始まりだったようです。 氏の持っていた初期のスクラップブックを開いてみると、冒頭には昭和 8 年 (19...