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#自宅でも考古博 33「調査研究事業 古代官道」

 考古博物館が開館した平成19年から、現在も継続して行われている調査研究事業に、「兵庫県内における古代官道に関する調査研究」があります。

 古代官道とは、飛鳥時代に整備され、奈良時代に改修された国の直轄事業の道、つまり「国道」のことです。主要なものとして、都と各地方を直接結ぶ七道(山陽道、山陰道、南海道、西海道、東海道、東山道、北陸道)があります。この時の名称は現在にも引き継がれて使用されています(山陽自動車道など)。

 兵庫県ではこのうち山陽道、山陰道、南海道の3つの道が通過していました。

 それぞれの道には、一定の距離(16㎞が基本)ごとに駅家(うまや)が設置され、馬の乗り換えや利用者の宿泊、饗宴などが行われました(今の高速道路のサービスエリア的な)。

 この古代官道の考古学的研究は、兵庫県が全国でも最先端を進んでいる、と自信を持って言えるほどです。
 その根拠は、全国で初めて駅家であると確認された遺跡「小犬丸遺跡(こいまるいせき)」【=布勢駅家(ふせのうまや)】(たつの市)があること、さらに、全国で唯一の国指定史跡となっている駅家【野磨駅家(やまのうまや)】(上郡町)があること、が挙げられます。

 当館では、山陽道の駅家のうち、賀古駅家(かこのうまや/加古川市)(H20~21)、(仮称)邑美駅家(おうみのうまや/明石市)(H22~24)、邑智(大市)駅家(おおちのうまや/姫路市)(H25~28)、高田駅家(たかだのうまや)(R1~)の発掘調査を行い、位置を確定したり、出土品を収集したりするなど、多くの成果を上げています。

 私も、第1期の調査である賀古駅家(古大内遺跡/ふろうちいせき)の調査を2年間、担当しました。その間、山陽道から駅家の東門への進入路の発見、唐居敷(からいじき)の発見など、多くの成果がありました。

 今後の研究の進展にご期待ください!

(学芸課 中村 弘)

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