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銅鐸の埋納はこのように! 石野博信館長の講演

6月21日(土)からはじまった 公開講座
兵庫考古学研究最前線1 2014

第1回 神ノ岡に埋納された銅鐸群
ー神戸市神岡桜ヶ丘(かみかさくらがおか)遺跡ー
当館館長 石野博信が講演しました

昭和39(1964)年神戸市灘区神岡(かみか)桜ヶ丘にて発見
石野博信(当時24歳)青年は勤め先の学校を休み
調査に専念!

土取りの際に取り上げられていた銅鐸などを出土状態を復元すべく
発見者に聞き取りし
紙の複製品を現地に並べるなどして
検証した。

講演中の石野博信館長

入場整理券の配布に大勢列ばれました


100名をこえる方々が聴講されました



銅鐸はヒレを立てられた状態で埋められた?

検証結果 埋められた銅鐸や銅戈は2グループに分かれる

それは埋められた時期差・時間差を意味するのか・・・

六甲山南麓からは銅鐸が多数発見されている
神岡桜ヶ丘より東は遺跡も多く、銅鐸出土も多数ある
各集落がそれぞれ埋納したのでは・・・

西では当時の遺跡はあるものの、銅鐸出土はかなり離れる
その意味は・・・
西方の集落が集まり神岡桜ヶ丘に一括埋納したのでは・・・

後世にあたる
古式古墳の分布と符合するのでは・・・
埋納の習俗が伝承したか


考古学史上 貴重な発見から50年
作業の苦労や貴重な体験、埋納の意味を講演いただきました


【お知らせ】
講演会 兵庫考古学研究最前線2014 第2回
7月5日(土)13:30~15:00
土器に残された痕跡から調理を考える
講師 篠宮 正(当館学芸員)
当日受付 定員120名 無料(講堂にて)

考古博に官兵衛がもどってくる!
阪神・淡路大震災20年展
企画展 兵庫五国の考古学
ー官兵衛を巡る五国の城ー
平成26年7月12日(土)~9月7日(日)
官兵衛が活躍した戦国時代末期、兵庫県は織田と毛利が覇権を争う激戦地となりました。
三木城や有岡城では大規模な包囲網が築かれ
壮絶な籠城戦(ろうじょうせん)が行われました。
今回の展示では、籠城戦の中で誕生した新たな城郭やこれを取り囲んだ
織田軍の砦(とりで)群(付城・陣城)を展示します。
講演会やイベントも多数!
詳細はHPを参照ください

開館中のイベント
(土)14:00~15:00 ときどきドキドキ体験!石棺に入ろう
(日)14:00~15:00 ときどきドキドキ体験!古代船に乗ろう

その他イベントなど詳しくは考古博ホームページをご覧ください

いつも新しい発見が・・・
兵庫県立考古博物館へご来館ください!



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