スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2025の投稿を表示しています

冬季企画展関連講演会「弥生時代の墓-入門編-」

   1月25日(土) 冬季企画展関連の講演会として「弥生時代の墓-入門編-」と題して、 神戸女子大学文学部 准教授の 齋藤瑞穂  氏を講師に招聘し、ご講演をいただきました。  最初は、「死ぬ」とは何か?改めて問いかけがありました。  墓はどこを占めているか、ムラの復元図を使って説明していただきました。   ご多用の中、ご講演をしていただきありがとうございました。    質疑応答の時間も取っていただきました。   講演会のあと 、 特別展示室で 展示物を前にして詳細解説です。 齋藤先生は弥生土器にもお詳しいです。     当館担当学芸員も解説を行いました。     冬季企画展「弥生の墓-玉津田中遺跡の方形周溝墓-」は、 1月18日(土)から3月16日(日)まで開催されています。注目ポイントとして「洪水が弥生時代中期をパックした」「有機物がそのまま残る=台地上の遺跡よりも情報量が多い!」等を、 今回の講演の中で 教えていただきました。    ぜひとも、近畿の弥生時代中期を玉津田中遺跡で学んでいただければ幸いです。(小林)     神戸女子大学文学部 准教授の 齋藤瑞穂先生をもっと知りたい方は、   神戸女子大学史学科 youtube 「お史ちゃんねる」 をご覧ください。

「震災から30年とこれからの文化財保護」

  1月18日(土)、シンポジウム「震災から30年とこれからの文化財保護」が、当館講堂において実施されました。  兵庫県歴史文化遺産総合活用推進実行委員会(事務局:兵庫県 教育委員会文化財課内) 主催、兵庫県立考古博物館共催のもと、令和6年度地域文化財総合活用推進事業のひとつとして行われました。   趣旨説明:柏原正民(兵庫県教育委員会文化財課課長)  基調講演「阪神・淡路大震災からこれまでの文化財保護」  村上裕道(京都橘大学文学部歴史遺産学科教授)  「広域団体の取組み 歴史資料ネットワーク」   松下正和(神戸大学地域連携推進本部特命准教授/歴史資料ネットワーク副代表)  「ヘリテージマネージャーの養成、活動とその展望」  津枝勝見(ひょうごヘリテージ機構H²O代表世話役人)  「兵庫県の取組み」  田中康弘(兵庫県教育委員会文化財課主査)  「神戸市の取組み」  中谷 正(神戸市文化スポーツ局文化財課係長)  「丹波篠山市の取組み」  植木 友(丹波篠山市教育委員会社会教育・文化財課文化財係長)  「香美町の取組み」  石松 崇(香美町教育委員会生涯学習課副課長)  座談会「これからの文化財保護」    座談会では、活発な意見交換がなされました。  閉会挨拶   菱田哲郎(兵庫県立考古博物館館長)  阪神・淡路大震災から30年を迎える令和7年1月に、次世代の自治体や関係者への伝承を目的に大震災時の文化財保護やこれからの文化財保護行政の在り方を考え提言することを趣旨として開催されました。  今回のシンポジウムを通して、多くの方々と共に学び、考えていくことが大切であるとあらためて思いました。(小林)

ほったん 続:発掘現場へ出動!!(山角廃寺)

  (ほったん) 前回は周辺を見て回るだけで時間切れになってしまいゴメンナサイ!   ということで、さっそく発掘現場へ突入!! お~! すんごい!! これが夢にまで見た発掘現場だ。広いしパワーショベルやベルトコンベアもたくさん並んでいる。            では、前回もお世話になったまちづくり技術センター職員の三好さんと垣内さんにご案内いただきました。   (職員 さん) 今回の調査の成果として、中世から近世にかけての遺物や溝などの遺構がたくさん見つかっているんだ。   そして、その溝が報恩寺の参道と同じ方向を向いているということで、寺域の区画溝や寺院に付属する施設に関わる遺構と考えられるんだ 。     なるほど。溝の方向が、隣接するお寺との関連を裏付ける重要な根拠になったということか。フムフム     ほったん こっちも見てごらん。 山角廃寺はこれまで、前回に報恩寺で見た心柱の基礎となる“塔心礎”と小学校近くで出土したとされる“数点の瓦”によって、その存在は想定されてはいたんだけれど、あくまで想像の域を出ない幻の寺院だったんだ。     それが今回の調査によって、たくさんの古代の瓦が出土したことから、古代の寺院がこの付近に存在したということが確実になったんだ。      へーやったね。想像から一気に実在していたものとして考えられるようになったんだ。  確かにこのあたりは、一面瓦だらけだね。              よ~し。  ボクもじっとしていられない。さっそく掘り返してみよう。   コラコラ!そんなにやみくもに掘り返したら大事な遺物が壊れてしまうじゃないか!もう出入り禁止にするよ!   ごめんなさ~い。でもどこを掘ればいいのか全然わからないや。 職員の皆さんはどうしているの?ヒントを教えて。   ...

ほったん 発掘現場へ出動!(山角廃寺)

   こんにちは。ほったんです!                    いよいよボクも 博物館を離れて発掘現場に足を踏み入れることに なったよ!  これで、また一歩、博物館館長への道に近づいたかな?  では、早速そのレポートを始めちゃいます。                                                                             ハイ。現場のほったんです!  今回の調査現場は加古川市平荘町にある「山角廃寺」だよ。 廃寺と書いて“ハイジ”って読むんだって。 どうしてもアルプスの山々が頭に浮かんできちゃうなぁ。 この現場は以前は、加古川市立平荘小学校(統合により現在は両荘みらい学園)があった場所で、今後は特別支援学校が建設されることになっているようだね。    これまでは、塔の心礎や古代の瓦が少し見つかっていたことから、このあたりに“古代の寺院があった”と言われていたんだって。     では、いよいよ現場へ! 正面に見えているのが小学校の校舎だね。まだまだきれいな校舎なので、改修して今後も使われるようだよ。よかったね。 それでは、発掘現場の中へ・・・・   と、その前に、この周辺の調査をまず行っておこう。     こちらは校舎敷地の一画。何やら大きな石などの建造物が保管してあるよ。  この青いブルーシートで覆われているのは何かな?            どれどれ下に何やら文字が書いてあるぞ。             エ~と「にのみやそんとくせんせい・・・」  わーっ、 あの有名な二宮金次郎さんの銅像だったんだ! 最近の学校では見かけなくなってきたけれど、さすがに歴史のある平荘小学校は違うね。   意外なものを発見した後は、学校の隣のお寺を見ておこう。校舎のすぐ隣に、こちらも歴史ゆかしき風情のあるお寺があるよ。               「印南山 報恩寺」だって。 説明板によると「元明天皇の和銅 6 年(713)証賢上人の開基と伝えられ寺勢が隆盛を誇っていた鎌倉~室町時代の石造遺品...

加古大池ヨシ刈り

 1月11日(土)加古大池ヨシ刈りを実施しました。前日まで 西日本では、1月としては過去トップ3に入るくらいの強い 寒波に見舞われ、厳しい状況の中でのヨシ刈りを覚悟していました。しかし、予想に反して風も無く、快晴の穏やかなヨシ刈り日和の一日となりました。  残念ながら、加古大池では年々ヨシの生育が悪くなっているようです。  4tトラック2台にヨシを積み込みピストン輸送する予定です。    最初にヨシの収集についてレクチャーを受けました。    作業に入る前に全員ラジオ体操で身体をほぐします。    草刈り機3台で比較的大きなヨシをベテラン職員が刈っていきます。   刈ったヨシを集める係、ヨシに混ざっている草やゴミを鋤きとるガンジキ係など、 手分けして作業に当たります。       国立明石高等専門学校の皆さんも応援に来ていただきました。  トラックをはみ出すような大きなヨシは、少ないようでした。(午前中にトラック各1回運搬)  昼食は、 ひょうご考古楽倶楽部 の皆様より 熱々の「豚汁」をいただきました。    美味しくいただきました。お代わりをする人も続出でした。  具材は味が良く染みて、大根も柔らかかったです。   ひょうご考古楽倶楽部 の皆様、 「豚汁」の差し入れ、ありがとうございました。  みんなであったかい豚汁を美味しくいただきました。  午後も「豚汁パワー」で頑張りました。    比較的小さなヨシも住居に使える箇所があるということで、最後まで頑張りました。  大きなヨシが少ないので、3時前の撤収となりました。お疲れ様でした。   今年も館職員の他に ボランティアの ひょうご考古楽倶楽部 の方々と国立明石高等専門学校の生徒さんたちの応援がありました。ありがとうございました。 最後に集合写真を撮りました。  今年は、トラック3台分、合計200束余りのヨシの収穫となりました。   刈り取った ヨシは博物館に戻って保管場所に立てかけて乾燥させて保存します。 ヨシは大中遺跡の竪穴住居の屋根を復元するため使います。  作業後の整理体操やストレッチを怠ったので、次の日は筋肉痛に悩まされましたが、古代の人々の生活に思いを巡らせ、その日は眠りにつくことができました。(小林)

過去の記事一覧

もっと見る