奈良時代はじめ頃の播磨地域について詳しく書かれている『播磨国風土記』には、今で言う「心霊スポット」についての記述があります。それらは「荒ぶる神伝承」「交通障害説話」などと呼ばれていて、特定の場所を行き交う人のち半分が死んでしまう、といった、今の心霊スポットよりもずっと被害に遭う確率が高く、恐ろしいものだったようです。
荒ぶる神の鎮祭伝承一覧(参考文献より)
そのうち、③と④は同じ「神尾山」に接する地域に残された伝承です。
いずれも地域住民にとっては迷惑な神ですが、「一定のリズムと具体的数値をともなう定型句が配置」されていて、それぞれの土地がなぜそういう地名になったのか(地名起源説話)について記されています。
こうした荒ぶる神伝承は、自然災害(洪水、濃霧、鉱毒など)によってもたらされた交通の障害に対する祭祀説話であるとされています。古代には荒々しい自然現象は荒ぶる神によるものと考えられていたのでしょう。そして、①⑤以外は、結局荒ぶる神が祭祀によって鎮められ、行き交う人々に平和と安全が保障されるようになる、という点で共通しています。
このような風土記に記された伝承はそれぞれの土地の人々によって語り継がれていました。そして上記の「荒ぶる神鎮祭伝承一覧」の例を見ると、神を祭り鎮めた者として具体的な氏族、個人名が記されている場合があるので、彼らは荒ぶる神を祭り鎮めたご先祖様であり、土地の人々にとってはその土地の開拓者といった性格を持っていたようです。だからこそ、こうした説話を語り継いできたのでしょう。
「荒ぶる神」の舞台となったのは人の往来の多い交通の要衝でもありました。時代が下って現在、大きな道は道路法の規定によって国や地方自治体などによって管理されています。現代における「荒ぶる神」はこうした組織によって鎮められている、といえるのかも知れません。
(館長補佐 中村 弘)
<参考文献>