1969年の冬、長野市にある積石塚で有名な大室(おおむろ)古墳群(約500基)の発掘に行った。積石塚というのは墳丘を石を積んで造った古墳のことで、その頃、高句麗などに多いことや、香川県の古い古墳にあることなどが話題になっていた。大学院生だった中村徹也さん(山口県教育委員会、写真の後)がその研究をしていて、今度、大室で積石塚を発掘するというので誘ってくださったのだ。
学部生の川西宏幸さん(筑波大学、前列左側)と篠原徹さん(国立歴史民俗博物館、前列右側)と私の3人がついていった。東京からは駒沢大学の倉田芳郎先生や東京大学大学院生の飯島武次さん(駒沢大学)等が来ていた。
発掘調査の参加者たち
われわれには425号墳があてがわれた。
宿舎は松代の国民宿舎で温泉も湧いて言うことなし。しかし、長野の冬は寒かった。
拳大か、それよりやや大きめの川原石を積んだ墳丘の実測は、川西、和田で担当したが、手がかじかんで長くはもたない。30分ほど描いては30分ほど焚き火にあたって体を温めた。
425号墳の測量図
(神村 透編1970『大室古墳群北谷支群緊急発掘調査報告書』長野県、大室古墳群調査会より転載)
ただ、休憩時間にはとびっきりのおやつが出た。長野名物のリンゴ。市場に出せないものらしいが、新鮮で甘くてみずみずしい国光だった。もう一つはこれも長野名物の野沢菜。お茶受けに大皿に山盛り。以後、その時の味を求めてリンゴや野沢菜を買うが、いつもがっかり。思い出の味に優るものはない。
この時初めて長野県考古学学会会長の藤森栄一さんや桐原健さん、神村透さんを見た。
(館長 和田晴吾)