「キズモノの資料」と聞くと、よくないことのように思われるかもしれませんが、一部の考古学者は「キズモノ」を見つけては喜んでいます。
当館では、そんなことを取り上げた展示があります。兵庫県で作られた瓦が京都にたくさん運ばれたことを伝えているコーナーです。
手前のテーブルは双六(すごろく)になっていて子供たちが楽しく遊んで学ぶようになっています。壁に展示してある実物の瓦にはなかなか目を留めてもらえないのですが、細かな資料の「キズ」の観察から歴史の一面が明らかになることを示しています。
右端のケースには、京都市南郊に位置する鳥羽離宮内の金剛心院跡から出土した瓦が展示されています(上の写真)。金剛心院とは、鳥羽上皇により久寿元年(1154)に建てられた別荘内のお堂です。壁に描かれたお堂の絵や屋根瓦を葺いているジオラマはこの遺跡をモデルにしています。
この金剛心院跡から出土した瓦(右側)と同じ文様の瓦(左側)が、明石市にある窯跡(林崎三本松瓦窯跡)から出土しています。
写真の平たい瓦(軒平瓦)をよく見てみましょう。きれいな唐草の文様が型押しされてつくられているのですが、よく見ると、どちらの瓦にも文様と関係がない部分に大きなキズが入っています。木製の型が傷んで木目に沿ってキズができ、それが押しつけられて瓦に写されたものです。
全く同じキズの痕跡により、両遺跡の瓦は同じ型を使って作られたことがわかり、明石でつくられた瓦が京都へ運ばれたことがわかるのです。
同じ文様の瓦でも、キズの形状が異なるものがあります。それらを金剛心院跡出土の瓦で調べてみると、金剛心院では少なくとも10個の型の存在が確認でき、明石市の林崎三本松瓦窯跡ではそのうち6個の型を使って瓦を作ってたことがわかりました。
このように「キズモノ」を探ることによって瓦の生産と消費の実態を細かく知ることができるのです。
当館では、そんなことを取り上げた展示があります。兵庫県で作られた瓦が京都にたくさん運ばれたことを伝えているコーナーです。
「瓦を運べ!すごろく」
手前のテーブルは双六(すごろく)になっていて子供たちが楽しく遊んで学ぶようになっています。壁に展示してある実物の瓦にはなかなか目を留めてもらえないのですが、細かな資料の「キズ」の観察から歴史の一面が明らかになることを示しています。
左:林崎三本松瓦窯(明石市)
右:鳥羽離宮(京都市)
右端のケースには、京都市南郊に位置する鳥羽離宮内の金剛心院跡から出土した瓦が展示されています(上の写真)。金剛心院とは、鳥羽上皇により久寿元年(1154)に建てられた別荘内のお堂です。壁に描かれたお堂の絵や屋根瓦を葺いているジオラマはこの遺跡をモデルにしています。
この金剛心院跡から出土した瓦(右側)と同じ文様の瓦(左側)が、明石市にある窯跡(林崎三本松瓦窯跡)から出土しています。
キズモノの瓦
上:林崎三本松瓦窯(明石市)
右:鳥羽離宮金剛心院跡(京都市)
写真の平たい瓦(軒平瓦)をよく見てみましょう。きれいな唐草の文様が型押しされてつくられているのですが、よく見ると、どちらの瓦にも文様と関係がない部分に大きなキズが入っています。木製の型が傷んで木目に沿ってキズができ、それが押しつけられて瓦に写されたものです。
全く同じキズの痕跡により、両遺跡の瓦は同じ型を使って作られたことがわかり、明石でつくられた瓦が京都へ運ばれたことがわかるのです。
同じ文様の瓦でも、キズの形状が異なるものがあります。それらを金剛心院跡出土の瓦で調べてみると、金剛心院では少なくとも10個の型の存在が確認でき、明石市の林崎三本松瓦窯跡ではそのうち6個の型を使って瓦を作ってたことがわかりました。
このように「キズモノ」を探ることによって瓦の生産と消費の実態を細かく知ることができるのです。
(学芸課 池田征弘)