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古代の文字にふれてみませんか?

 メインホール展示が替わりました!

8月の学芸員が選ぶ「私のイチオシ館蔵品」は、

「西木之部(にしきのべ)遺跡出土の墨書土器」です!



西木之部遺跡は、篠山市東木之部に所在する奈良時代から鎌倉時代まで続く遺跡です。

この遺跡からは、墨書土器が多数出土しています。欠けていて全体が分かるものは少ないですが、

「井」「廣」「東」などの文字や則天文字と思われる文字が読み取れます。

上の「黒」は薄すぎて見えにくいですね。
下の文字は、則天文字と思われます。
どれもうっすらとしているので、ん~読めるか読めないか。。。
これは、両方とも一字ずつ何とか読めそうです。
墨書土器の勉強中
水戸光圀の「圀」って則天文字なの?!

古代の人が書いた文字を見ることが出来るって、なんだか不思議ですよね。

自分の書いた文字を1000年後の人たちが見ると考えると、嬉しいような、恥ずかしいような。

これを書いた人たちもそう思っているかもしてませんね(笑)

こうして、今、私たちがこの墨書土器を見るのも、何かの縁です!

この夏は、古代の人が書いた文字にふれてみませんか?

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