風土記1,300年記念特別展
「播磨国風土記―神・人・山・海―」から その(2)
展示室に入って最初のケースには、『播磨国風土記』(姫路文学館所蔵のレプリカ)、『続日本紀』(名古屋市蓬左文庫所蔵 江戸時代の写本)が二段に並び、その右側に藤原宮や平城宮など都城出土の木簡が並んでいます。木簡は奈良文化財研究所からお借りしたもので、2週間ごとに入れ替えをしています。
しかし、一番右手の1点は地元、賀古郡鴨波里(あわわのさと)の木簡レプリカ(播磨町郷土資料館所蔵)で、会期中、見ることができます。
鴨波里は、加古川市神野町南部・野口町北部、平岡町北部、賀古郡稲美町南部あたりに比定されています。粟を沢山撒いたので「粟々里」という名が付けられたと『播磨国風土記』には記されているように、水の便が悪い土地では、お米よりも粟のような雑穀が栽培されていたのでしょう。
平城京や平城宮出土の木簡には、賀古郡から運ばれた荷物につけられたものが5点あり、2点が鴨波里のものです。その1点がこの「禾々里」、もう1点は「淡葉郷」とすべて表記が異なっています。このように当時の地名には様々な漢字が当てられており、どの字を用いるべきか迷ってしまうこともたびたびあります。
また、賀古郡から運ばれた荷物は、大鮹、貝鮓、加比酢のように海産物やその加工品が目立ちます。やはりお米よりも粟や海産物の多い土地だったのでしょう。
木簡レプリカ 「播磨国加古郡禾々里」
播磨町郷土資料館所蔵