春季特別展「弥生の至宝 銅鐸」も残すところ、あと1週間あまりとなりました。 たくさんの方々にご来館いただきありがとうございます。 今回は展示室での観覧とともに、「銅鐸を鳴らしたら実際にどのような音が鳴るのか」という体験コーナーも設置しました。 また、週替わりで銅鐸の中の舌(ぜつ)を金属製、石製・・と付け替えていたので、その微妙な音色の違いを実感された方もいらっしゃるのではないでしょうか。 ところで、銅鐸の使用方法や用途についてはまだまだ謎の部分も多いですが、村の祭祀、おまつりの時に使用していたと考えられています。 こちらが、当館のテーマ展示室で、お米が無事に育つように大自然の怒りを和らげるため神に祈っている巫女(みこ)と銅鐸を再現した様子です。 実は、この展示方法は数年前に変更されたものです。 それまでは、左の写真のように銅鐸を手に持っていました。しかし今では、手には何も持っていません。 (改修前巫女写真+現在の巫女写真) ではなぜ、このように展示方法に変更があったのか。 それは、平成27年に南あわじ市で発見された「松帆銅鐸」が深く関係しています。 発見当時、松帆銅鐸は中に舌(ぜつ)と呼ばれる金属棒が入った状態で埋められており、上部の穴と鈕(釣り手)部分に植物繊維やその痕跡が残っていました。 それが証拠となり、銅鐸は、吊り下げられた舌が銅鐸内面にぶつかることで、音を出していることが明らかになったのです。これまでも銅鐸は鳴らすものと想定されていましたが、金属舌を伴う例は数少なく、紐状の繊維が見つかったのも初めての事でした。 この成果をもとに、当館では銅鐸の埋納状況を表す展示から、銅鐸の使用状況に重点を置いた展示、つまり紐で固定された銅鐸を打ち鳴らすことのできる展示に変更したのです。 展示の世界では、新たな資料の発見により、これまでの解釈に変更が生じ、展示方法を再検討するケースがあります。まさに今回がそのケースでした。 ところで、今朝、新聞を読んでいると「仁徳陵 唯一の副葬品確認」という記事が載っていました。内容を読んでいくと❝大山(だいせん)古墳❞との名称で記事が書かれており、注釈の地図には大山古墳(仁徳天皇陵)となっていました。 昔、授業で教わった❝仁徳天皇陵❞が知らないうちに❝大山古墳❞に名称が変更さ...
古代の米づくり体験 今年も播磨町立蓮池小学校5年生の皆さんにお手伝いいただき、田植えを実施しました。 当日は曇りで気温は平年よりやや低めということで、絶好の田植え日和となりました。 今回植える品種は「ヒノヒカリ」と「ハリマモチ」の2種です。 ヒノヒカリはコシヒカリと黄金晴との交配で生まれたお米で、炊き上がりが日の光のように輝いていたことから名付けられたそうです。粘り、香り、味のバランスがよく、とても人気のある品種です。 ハリマモチは兵庫県産のもち米で、柔らかくて弾力があり、時間がたっても硬くなりにくい性質があるということで、どちらも成長が楽しみですね。 学芸員の笛の合図で一斉に苗を植えていきます。 しっかりと泥の中まで苗を差し込まないと、大雨の時に浮いてきてしまいます。 1組が終了。最初はコワゴワでしたが、終わってみると満足そうな表情が見られました。 足の泥がそれを物語っています。 田んぼの隣にある神社の神さまも静かに見守っておられることでしょう。 お米と神さまは古代から深い関係があり、神さまにお供えする食事、御神饌(ごしんせん)で最初にお供えされるのはお米です。 それから、”お米には七人の神さまが宿る゛といわれていて、それは、水、土、太陽、風、雲、虫、そして人(作り手)という七つの自然を指しているのだといわれています。 ところで、このイベント「古代の米づくり体験」とありますが、本当に古代の人はこのように田植えをしていたの?と思いませんか。 実は田植えのやり方は弥生時代のころからほとんど変わりなく今でも続いているのです。 もちろんトラクターやコンバインなどの機械はありませんが、湿地帯や水路を作って水を引き込んだ区画をつくり、そこに苗代で育てた苗を植えていたようです。 美乃利遺跡(加古川市)の水田【弥生時代前期】 【 兵庫県教育委員会 1997『美乃利遺跡』 】 農作業で使用する木製の鍬(くわ)、鋤(すき)、お米や種モミを保管するための高床式倉庫なども各地で見つかっています。 当館では秋の収穫時には、弥生人にならって石包丁を使った刈り入れを行っています。 田植えが終われば用水路で足をきれいに洗い流します。 弥生時代にもこのような光景があったことでしょう。 最終の3組も無事に終了。途中2組から「がんばれ!」の応援もありました。 残りの区画は職員とボランティアさ...